ふにふにおちる

21歳の大学生が書いています。いろんなことを腑に落とそうとします。

引きこもり向きではあるが、プロの引きこもりにはなれない。

 

今、引きこもりにまつわる演劇に音響として関わっています。

だから、引きこもりのことを書きます。

 

私は引きこもることが好きです。

家に一日中引きこもることが全く苦でありません。(ただし、潤沢な食料と温かい寝床がある場合に限る)

気がつけば「あれ最近誰にも会ってないな」と思うことがあります。

「最近何してるの?」って聞かれて「何もしてなかったなぁ」「家にいたなぁ」と思いながらも「美味しいご飯食べに行ったよ」とか「人に会ってたよ」とか「ザリガニ相撲の行司をしていたよ」とかいろいろ誤魔化しているところもあります。大抵「あ、こいつ何もしてないな」と見抜かれて、ぽけっと生きてるやつと思われている気がします。世の中甘くない。

 

では、なぜ私が引きこもりに向いているのか。

シンプルに言えば、自分のことを考えるのが好きだから。

他人と一緒に自分のことを考えることもできるけど、自分のことを考えるのに最も適した場所は、家、です(私にとっては)。昨日も帰って来た場所で、明日も帰ってくる場所に私は座って考えます。誰かに言った一言や、言わなかったこと、言われたこと、みたもの、思ったこと、これまでのこと、これからのこと、ソトから私に入ってくる刺激は考え事の餌食になります。

内に内に思いを巡らせているときに、ソトの刺激が入ってくると、キャパオーバーです。ダダダダダム決壊。私は空っぽなのにパンパンなので。お恥ずかしいことに。それゆえ、ソトの刺激の権化である「テレビ」もあんまり使われません。ニュースが一番苦手です。観るべき知るべきなのは分かっていても、自分にどうしようもないところで人が亡くなったとか、自分が一票持っていても上手くいかない政治のこととか、もうダダダダダ。抱えきれない。

 

たまに(たまにであって欲しい)、他人と一緒にいるのに自分のことを考え始めてしまうことがあります。オープン引きこもりです。考えれば考えるほど言葉は少なくなります。就職活動をしている時、私のことを寡黙だと言った企業がありました。きっとオープン引きこもりを面接でかましたのでしょう。

 

でも、でも、です。私はプロの引きこもりにはなれません。注1

なぜなら、私の考え事はソトから始まるからです。そして考え事の多くはソトに持ち出されてさらに進んで行きます。

本当にソトに触れなくなったら、実は私は自分についての考え事ができなくなると思います。もしくは自分についての考え事で自分を滅ぼす気がします。ソトに出ることによって引きこもれる人間なのですきっと。

ソトからの刺激を解釈するのに、静かで安全な場所とちょっと多くの時間が必要なだけかもしれません。それが結果として引きこもりに見える。

 

だから、引きこもり向きではあるが、プロの引きこもりにはなれない。

 

以上、引きこもりについて私が思うことでした。

 

 

 

注1 プロの引きこもりに会ったことがないなと思いましたが、プロの引きこもりは引きこもっているのだから一生会えない!!!これは発見です!!!