ふにふにおちる

21歳の大学生が書いています。いろんなことを腑に落とそうとします。

タピオカと私の関係性について

 

 

タピオカと私の関係について、語り始めたところでそう長くはならない。

 

 

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私がタピオカと出会ったのはたしか、高校生の時だった。

部活帰りに、私より先にタピオカを通過した友達につれられ、まだその地方には少なかったタピオカ屋に行った。その友達の足はムキムキだった。私はセーラー服を来ていた。

 

 

 

シンプルなミルクティー味。注文したのはそれだったと記憶している。

 

初めてのタピオカ。丸くてプリプリとしたその姿にみとれた。

きっと、プチっと弾けて、口の中に楽園みたいなのが広がるに違いない。

 

プチっ、、、プチっ、、、❤️🌴❤️🌴(想像)

 

私は太いストローから、普通味のミルクティーとともに、黒い粒を吸い込む。

 

来るぞ、、、、プチっ、、、、、来いっ、、、、プチっ、、

 

 

 

、、、、、、、、、、、、、、、来る!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

もにっ、、、ぬちゃもにっ、、、、、、もにっ、、、、、

 

 

 

 

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

プチっじゃないんかい!!!!!!!!!!!!!

 

正直、あまり良い出会いではなかった。

 

しかし、その後もうまいかうまくないかそんなに気にしないまま

友に連れられ、友を連れ、タピオカをぬちゃぬちゃ噛んでいるうちに

なんとなくクセになってしまい今に至る。

 

 

 

私にとってタピオカとは。

 

 

 

この問いに私は立ち向かった。

 

時間をかけ、ご飯を食べるのも忘れ

 

時にうっすら涙を浮かべながら

 

必死に考えた。

 

そして、なんとかたどり着くことができた。

 

私にとってタピオカとは。

 

 

 

 

 

「うめぇ飲み物」

 

 

 

 

 

もう一度言わせてもらう。

 

私にとってタピオカとは

「うめぇ飲み物」

だ。

 

 

それ以上でも、それ以下でもない。

付け足すならば、「腹がふくれる」くらいか。

 

 

 

私の行動範囲には引くほどタピオカ屋さんがある。

 

長蛇の列を作り、タピオカを購入し、お店の前で撮影大会をしている。

 

私が思うのはその人たちにとってタピオカは

ただの「うめぇ飲み物」ではない、ということ。

 

「うめぇ飲み物」という以外にも、彼ら、彼女らに見えるタピオカには、何らかの価値があるようだ。

 

「見た目が可愛い」

「遊びに行くといえば、新しくできたタピオカ屋に行くのと同義(高校生の私もそうだったのかも)」

「初デートで何していいか分からずとりあえずタピオカ」

「クラスでのステータス」

「お父さんにねだって、やっと買ってもらえた」

(ちょっと意地悪な例もあるかもしれないが、問題はそこじゃない)

 

 

 

食べ物あるいは物に、それぞれの人が見出すいろんな価値がまとわりつく。

私が見るタピオカと、あなたが見るタピオカは違う。

それはとても面白いことだと私は思う。

 

 

 

 

20メートルの列に並んでまで、私はタピオカを買わない。

別に他の「うめぇ飲み物」をコンビニで買えば良いから。

 

でも、ある人は30メートルでも並ぶ。

その人にとっては、それだけの価値があるから。

 

 

人とモノが関わることによって生まれる「価値」で毎日は溢れかえっている。

みんな気がついているし、再三言ってきてるんだろうけど

私はタピオカによって強く感じた、というそういう話。

 

 

そんなことを書きながら私はミルクティーを飲む。タピオカは入っていない。

ミルクティーはうめぇ。あやつにこだわる意味などない!

 

 

ふと思い出す。

恋人がいちごチーズケーキ味のタピオカを頼んで

「(ミルクティーとか抹茶ミルクとかで良いな)」

と思いながらも2人でちゅるちゅるとタピオカを吸って、なんか楽しかった、ということ。

 

あーあ。ただのうめぇ飲み物ではなかったなぁ。

 

 

 

 

 

あなたとタピオカの話を聞きたいです。聞かせて。