ふにふにおちる

21歳の大学生が書いています。いろんなことを腑に落とそうとします。

ストッキングのつま先すごく臭くなった就職活動。

 

1年前、急に就職活動を始めた記憶があります。

 

インターンも行ってなかったし、SPIの勉強もしてなかったし、ESの書き方もしらなかったし、アシストしてくれるエージェント(後にやつらにペースを乱されることになる)のことも知らなかったのに、急に始めました。

 

「なんもしてなかったのに内定貰えたよ」「準備はしといた方がいいよ」とか言いたくて書くわけじゃありません。あくまで、私の思い出です。

 

私の就活用の写真、ES、その他諸々は「大きくなったら何になろうプロジェクト」というファイルに未だ収められています。

 

御察しの通り「大きくなったら何になろうプロジェクト」は「就職活動」のことです。ダサすぎます。知ってます。でも私の中でとても大事なことだったので「就職活動」ファイルは作りませんでした。私の中で大事なだけだからダサくたって良いのです。

 

5歳のときの私は「大きくなったら動物博士か英語の先生になりたい」と幼稚園主催の誕生日会で豪語していました。「どうぶつ奇想天外!」が好きなだけだったし、英語は習ったことすらありませんでした。それに加えて、舐め腐った「or」発言。どうしようもなくかわいいですね。

 

その後、機会があれば「税理士になりたい」だの「球団のマネジメントしたい」だの「芸人になりたい」だの吐き散らかす子供でした。

 

それから16年経って、21歳になった私の耳によく入ってきたのは「就活めんどい」「やりたくない」

 

なるほどなるほど。そういう気持ちがあるのも当然。私にだって無いわけじゃない。

 

ただ、私はその気持ちのまま頑張れるほど強くないなぁと思ったので、5歳児の気分をファイル名に載っけてみました。

 

何かになりたいと思うことと、就職活動って遠くはないなぁと。場合によっては同義だなぁと。ダサファイルの完成です。

 

始まりました就職活動。

 

5ヶ月後くらいに気がついたら終わってました。

 

私がその5ヶ月で得たのは

「世の中には私が居やすい場所と居にくい場所がある」

という事実でした。

 

自分が強めのHSPであることに気がついたのもその期間だった気がします。

 

「居にくい場所がある」事に気がつくのは悲しいことでしたが、「居やすい場所がある」ことは大きな救いでした。

 

大学で学んだ事を聞かれたとき、私は「言葉には限界もあるということ」と言うようにしていました。言葉は記号なのだから、伝わること伝わらないことがある。「言えば伝わる」なんて簡単なものではないから、言葉を尽くしたりして関わりたいね、という補足をしながら。

 

それに対して「あなたはネガティブですね」と仰った面接官がいました。

 

「居にくいな」と思いました。圧迫だかなんだか知らないけれど、悲しくなりました。「言葉の限界」ってこういうことか、と。こういうことですよ、聞こえますか、言いませんけど、と。

 

別の企業で同じ事を言ったとき

 

「日本語日本文学コースで4年間学んで、演劇とお笑いをやって、言葉を使って使って、行き着いたのがそれか…面白いね」

 

あ、「居やすい」と思いました。居やすい場所が1つでもあると安心です。1つあるとそれに似た2つ、3つがある気がしてくるし、実際にありました。

 

私は、そんなに面接でベラベラ自分をアピールできるタイプではありません。考えて、考えてから喋りたい気持ちもあって、静かになってしまうことも多々ありました。

 

それを「自分に自信がない」と言われることがあった一方で、「寡黙さが、逆にアーティストっぽくて良いね」(分かるようで分かんないけど)と褒めてくれる企業もあるんですこれが。

 

居にくい場所が多めな人間なのかもしれないと思いつつも、居やすい場所も確実にある、救われたぁ…

 

大事な5ヶ月でした。

 

あと、パンプスで1日歩き回って、家に帰ってなんかくさいなぁと思ったらストッキング!!生足みたいなもんだから、そりゃくさいか!

 

毎日足臭かったなぁ。先っぽの方が特に。

 

どんなにフルメイクなあの子も、すげえハイスペックであることを語っているあの子も、みんなみんな足が臭い!!ストッキングにパンプス履いてんだもの。

 

以上、就職活動の思い出。