ふにふにおちる

21歳の大学生が書いています。いろんなことを腑に落とそうとします。

人(自分以外)の作ったご飯の美味さについて

 

「いやぁ人の作った飯ってうまいね」と私が作ったちょっと味噌入れすぎの味噌汁を食べながら妹が言った。確かに。でもどうして人の作ったご飯はうまいのか。自分の労力を使ってないからだろうか。愛がこもっているからだろうか。

 

考えた結果「せっかく自分で作ったのにまずかったという事態を信じたくない己と向き合わずに済むから」という結論に至った。自分の労力を使わなくていいからの派生形と思われる。

 

自分で作ったご飯を食べる。

「ちょっとしょっぱいけど美味しい。頑張ったから。」

「ちょっと薄いけど美味しい。頑張ったから。」

「ちょっとまずいけど美味しい。頑張ったから。」

私は自分を守ろうと必死になだめながらもぐもぐする。これだ。人が作ったご飯を食べるときにはこの惨めななだめが必要ない。だからさっぱりとご飯を楽しめる。結論がでた。

 

ここで気がつくことがある。なだめの必要の有無がご飯を楽しめるかどうかにつながるなら、自分以外の誰が作ってもいいわけじゃない。もし作るのが、付き合い始めて2週間の恋人だったら?世界中誰しもが認めるシェフだったら?私絶対まずいって言えないし思いたくない。例のなだめが始まってしまう。

 

まずいって言っても大丈夫な人が作ったご飯が1番美味しい。うん、腑に落ちた。

 

あ、でも、まずいって言ってもいい相手ということは、まずいもの出してもいい相手と向こうもこちらのことを思っている可能性もあるわけで、本当にまずいものがでてくる確率も上がるのでは。やだ、美味しいものが食べたい。どうしたらいいの。

 

とは言いつつ、実際はコンビニの弁当とか冷凍のパスタとかで食事を済ませることが多い。作ったのはもちろん自分じゃない。誰が作ったか分からない。これまずいよって伝えてあげる相手がいない。だから何も考えないでもぐもぐ。誰かが作ってくれてることも忘れてもぐもぐ。ちょっとさみしい。