隣の芝が青いことについて①
「隣の芝は青い」という言葉があります。
自己への肯定感がぺらっぺらになってしまったとき、私もお世話になります。
ただ、この言葉が私の中で発動される多くの場合、隣の芝は
「青い」で済んでいない、ないしは「茂っていない」
のです。
他人への憧れや嫉妬が強すぎるとき
「隣の芝は青いし、バーベキューもやっている」
ように見えます。たくさん友達がきて、わいわい楽しそうです。
あーいいな、ソーセージとか焼いちゃって。
わ、おにぎりに醤油塗って焼いてる、それはうまい、反則だよー。
ちょっと!!!ピーマン炭になっちゃうから、誰か皿に引き上げな!!
私もしたいなバーベキュー。
ということで、私も始めるんですよバーベキューを。
心許せる友達を呼んで、こっちはトウモロコシに醤油塗って焼いちゃうぞ。
食べにくいけど美味しいんだこれが。
赤身の肉もいいけど、豚トロとかも買っちゃって。
食べ残した具材で焼きそばも作るぞ。あと、エビスのビールはうまいな!!
バーベキュー最高!!!!
と思えた頃に、ふと横を見ると
「隣の芝は青いし、バーベキューの後の花火を始めている」
んです。
「おい、危ないから振り回すなよ〜」
「お前が俺のから火持ってくから、俺の消えちゃったじゃん!!」
「きゃーーーー(ねずみ花火が暴れてるらしい)」
いいなぁ花火。きゃっきゃ言ってるよみんな。
もちろんドンキに買いに行きます。打ち上げもどきとかも買います。
ただ、その頃にはもう
「隣の芝は青いし、バーベキュー後の花火も終わり、みんな家の中に入ったのに、付き合う直前の1組の男女がおしゃべりしている」
状態なんです。いますよねそういうやつら。気持ちは分かります。夜って特別ですから。
「中、めっちゃ盛り上がってるね」
「そうだね」
「行かないの?」
「うーん、いいかな」
「そっか」
「そっかって(笑)」
「なんで笑うの(笑)」
「理由聞かないのかなって」
「あぁ」
「うん」
「好きだからでしょ?」
「え」
「俺のこと」
最悪だし最高ですね。夏過ぎて吐きそう。
どこまで行っても、隣の芝は優れて見えますね。
隣の芝の「青さ」「バーベキュー」「花火」「はじまりかけの男女」に気を取られて
自分の芝のいい匂いとか、お肉の美味しさとか、線香花火が落ちる瞬間の美しさとかを
大切にできないのは悲しいことだなって思います。
「いや、芝で花火やったら芝ハゲるから!こっちは水風船投げて遊びますわ!」って言える気概を持っているのもまた、すてき。
隣の芝が青いことについて②に続く
うえまき