ふにふにおちる

21歳の大学生が書いています。いろんなことを腑に落とそうとします。

やめた部活のウインドブレーカーが今もよく似合う

近所のスーパーに行くために、服を着替えるなんて絶対にしないと、小さい時に祖父と約束した。祖父の遠い親戚が、商店に行くためにパジャマからそれなりの服に着替えた時、うっかりズボンとパンツを一緒に脱いでしまったらしい。それを見ていた、親戚の妻がツボにはまり、その事件以降誰かが「商店に行く」という度にひくほど笑ってしまう体質になってしまったのだとか。「山内」という苗字だった彼らはいつしか「ズリ落ちさん」と呼ばれて嘲笑の的になった。着替えとは誰かの人生を変えてしまう責任のある行為なんだ、と幼心に思った。

 

明らかに嘘なんですけど

早い話が、ご飯買いに行く時にパジャマを着替えたくない性分なんです。めんどくさいのでね。そういう性分であるくせに、パジャマで出歩くほど肝は座っておらず。何かを羽織って出て行きたいなぁと辺りを見渡すと、ありました。高校の時、バドミントン部で着ていたウインドブレーカー。通称、シャカシャカ。シャっと袖を通して、鍵を持って、そう、いつも鍵忘れるから今日は優秀、とか思いながら家を出て、エレベーターに乗って、鏡を見ます。

 

「似合ってる」

 

とシンプルにそう思いました。最近着はじめたオフィスカジュアルよりも、お気に入りのオーバーオールよりも、気合い入れたワンピースよりも、似合ってました。

 

でも不思議なんです。私は、部活を2年の夏にやめました。だから、やりきった青春みたいなものはそこにあるはずがなくて。部活に「似合わない」人だったはずなのに、なぜかそこには部活のウインドブレーカーが似合う21歳がいました。

 

いろんなことを思い出しました。私にとってはとても大事なことだったけれど、今文字に起こしてみるとかなり大したことないので結構端折ります。ちょっと言うとすれば「似合わない」場所ではなかったし、もしかしたら「似合う」場所だったかもしれないです。でも、私はもっと似合う場所を見つけたくて辞めたのかなぁと。今、似合う場所にいるんでしょうか私。

 

 

我々、思ったより「服」と一緒にいませんか。手ぶらで出かけてもほとんどの場合服は着ています。実は「服」が知っていることって多いのかもしれません。

 

思い返せば、私は大学生が高校時代の制服とかジャージとかを着ているのが好きです。その人と私が出会う前のその人のことが少し、見える気がするからだと思います。まだ似合う人もいるし、あれよあれよと衣装になってる人もいたりして、面白いですよね。

 

 

そんなことを書いているうちに買ってきたご飯が冷めてしまいました。

とか、書いたらオチっぽいですが、元からお弁当はひえひえでした。残念でした。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

うえまき