ふにふにおちる

21歳の大学生が書いています。いろんなことを腑に落とそうとします。

「好き」の取り扱いについて

 

1番先に断っておくとあまり色っぽい話ではない。恋愛論を期待して指を載せたあなた、そうあなた、ごめんなさい。

 

私は分別がつき始めた頃から「好き」という言葉や概念に怯えている。

 

「ゆたんぽ好きなんだ〜」

モノに対する「好き」はまだいい。問題なのは人に対する「好き」だ。家族、友達、恋人、互いの性別、関係なく。

 

「紗香ちゃん大好き!ずっと友達!」

小学6年くらいから、女の子の界隈で耳にするこの類の「大好き」は私を震えさせる。その言葉が嘘だとか軽いとかの理由で怖いのは多少ある。でも、本当に「大好き」な場合が無いわけじゃないことも分かる。

 

私が一番怖いのは「大好き」が「明日も大好き」でいなければならない呪いを纏っていることだ。明日の紗香ちゃんは何かに啓発されてどぎつい性格の女の子になっているかもしれない。週6で原宿にいく子になっているかもしれない。ブラシくらいのつけまつげをつけてくるかもしれない。変わってしまった紗香ちゃんをも一度好きと言ってしまったら嫌いになってはいけない、気がする、私は。まあ、ブラシくらいのつけまつげをつけてきたら、それはもう好きだけど。

 

反対に「大好き」と言われたゆえに、その人が言う「大好きな紗香でいなきゃ」と紗香ちゃんが思ってしまうのではないかという懸念もある。私の中では。

 

そんな懸念の先に、「大好き」を伝えられる人の強かさを私はおそれている。恐れもあるし、畏れもある。すごいよ。「大好き」を言うのも言われるのもびくびくしてしまう。「好き」という感情がないわけではない。好きな人はいっぱいいる。不思議なあの子も、意志を曲げないあの子も、すぐ病むけど優しいアイツもみんな好き。だけど言えない。

 

ちょっと話は変わるが、私は他人に心を開くのに時間がかかる。しかも、向こうの「興味あります〜」「好きです〜」みたいな空気を私が感じないと(ここ大事、私が勝手に感じるかどうかで、相手が実際好きだと思ってるかどうかは知らない)なかなか心を開かない。私に興味なんてないよね…枝豆の前に座ってるおしゃべり上手な人と話した方が楽しいからグラスをもってあっちにお行き…典型的に心が拗ねている。

 

「好き」って言われたいくせに、「好き」ってなかなか言えない。困ったヤツめ。